815年、琵琶湖のほとりにある梵釈寺(近江)で、永忠和尚が嵯峨天皇に茶を献じました。『日本後紀』に残るこの場面は、日本の茶の歴史が史料で確認できる最初期の記録です。 ただし、この時代のお茶は、私たちが日常で飲む煎茶や抹茶とはかなり違い...
お茶の百科事典
歴史
日本茶はいかにして今の姿になったか——カップに注がれるお茶の背景にある人物、場所、転換点を辿ります。
22 件
「茶聖・大谷嘉兵衛」。その功績は、茶業界だけにとどまらず多岐にわたります。時には私財さえ投げ出し、茶業界のため日本のために尽力した大谷嘉兵衛の生涯をたどります。大谷の物語は、明治・大正時代の茶輸出産業と深く結びついています。 世界を舞...
医師として名を立てながら、やがて診療の場を離れ、製茶機械づくりに人生を注いだ人がいました。高林謙三です。そこにあったのは、明治の茶業を立て直したいという執念。明治・大正期の日本茶産業を見つめるとき、私たちFar East Tea Co...
お茶の歴史は永谷宗円(ながたにそうえん)抜きでは語れません。「青製煎茶製法」を生み出し、煎茶の普及に大きく貢献した永谷宗円の生涯とその功績を辿ります。 永谷宗円とは 永谷宗円の基本情報 永谷宗円は、延宝9年(1681)に山城国(現・京...
1859年、横浜港が外国貿易に開かれたとき、日本茶は一夜にして国際商品へと変わる道を歩みはじめました。明治維新(1868年)から大正時代(1912〜1926年)にかけての約60年間は、日本茶の歴史のなかで最も劇的な転換期のひとつです...
日本の茶の湯文化が大きく姿を変えたのが、室町時代から安土桃山時代にかけてです。武家社会、寺院文化、そして都市の商人文化が交わるなかで、お茶は単なる飲み物ではなく、人をもてなし、心を整え、関係を結ぶ営みへと育ちました。 私たちが今...
茶碗に入れた粉末の茶に湯を注ぐと、水面はやわらかな緑に変わり、竹の茶筅が細かな泡を起こします。鎌倉時代の喫茶は、今の私たちが親しむ茶道ほど整った作法ではなくても、すでに一碗へ意識を集める文化でした。 目の前の泡だけでなく、その背...
幕末の大変革期、静岡県の牧之原台地は地元農民でさえ見放す荒れ果てた土地でした。その土地を200名余りの武士からなる「農業未経験者の集団」を率いて、日本有数のお茶の産地に生まれ変わらせた中條景昭の歩みをたどります。 中條景昭とは 侍時代...
「山本山」の山本嘉兵衛とその功績 山本嘉兵衛は、日本の茶の歴史を語るうえで欠かせない名前です。ただし、山本嘉兵衛は一人の固有名ではありません。山本家の当主が代々受け継いだ名であり、その時代ごとに異なる役割を担ってきました。初代、4代目...
生涯を通じ茶の木の品種改良を追求した情熱の人。地元静岡では、没した後も「彦三郎翁」と呼ばれ敬われる「やぶきた」生みの親、杉山彦三郎をご紹介します。 杉山彦三郎とは 杉山彦三郎(すぎやまひこさぶろう)は、安政4年(1857)に安倍郡有度...
読むから飲むへ
調べたお茶を、実際に味わう。
日本の7つの窯元による手仕事の茶器と、その作り手の物語。









